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サンアントニオ滞在中のKAICHOより-4

アラモの砦のDVDを買い込み予習をして出かけていったKAICHO
サンアントニオは想像以上の大都市だったそうです。
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サンアントニオは
確か湾岸戦争が始まった時アメリカ出張中でアメリカ国内から出るのは危険なので
帰国は一時見合わせアメリカ国内にとどまるようにとの会社からの指示。
米国内は日本ほどの不安な状況ではなかったそうで、「アラモの砦まできているから」と
のんきな電話があった地です。

by NPHPID | 2007-12-10 23:40 | Trackback | Comments(1)

Commented by KAICHO at 2007-12-11 01:53 x
第一次湾岸戦争の時で、1992年だったでしょうか。
「国際線の飛行機はテロの対象になりやすいので乗らないように」、、
「飛行機は使わないように。列車かレンタカーで移動するように」、
「ワシントンDCはテロの攻撃目標にされるようだから飛行機を使ってでも直ちにDCから離れなさい」、
「日本からアメリカに出張できなくなったので、アメリカに残ってその人に代わってその仕事をしなさい」、
「直ちに帰国しなさい」等など、
様々な指示が短時間で乱れ飛びました。
あのときは「朝令暮改」が本当に存在することを実感しました。

道を尋ねたテキサスの牧場主は「湾岸戦争? それは遠いところ話、心配ないよ、遠く日本から来たのかね、私はアマチュア無線で日本の人とよく交信している、日本人ウエルカム、お茶でも飲んでおいき、昼飯食べて行かないかい」と、のんびり親切、いい人でした。
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